酒飲みは、イスラム教圏でも飲まずにはいられないのである
イスラム教では偶像崇拝が禁止されている。毎日5回、決まった時間にメッカの方角への礼拝を欠かさない。豚肉を食べる事を忌避している。1年のうち決まった月にラマダーン(断食)を行う。
そして、飲酒が禁止されている。
これは、直接原典をあたった訳ではないが、幾つかの書籍で目にしたところによると、教典「クアルーン(コーラン)」にそのように明記されているからとか。
かようにストイックなイスラム教圏に旅行して、そうやすやすと「飲酒」が出来る訳がない。だって、国ぐるみでお酒を禁止しているんだもの。飲みすぎて”やんちゃ”しちゃったから、当分お酒を控えようと思っているおじさんの禁酒とは、訳がちがうのだ。
高野秀行の”飲酒行脚”譚
それなのに、「イスラム飲酒紀行」とはなんたる矛盾に満ちたタイトルだろうか。ノンアルコールビールのようなアルコール「もどき」でお茶を濁すんじゃないの。そう思って読み始めた。
ところが、著者の高野秀行はやってのけた。
カタール、パキスタン、アフガニスタン、チュニジア、イラン、マレーシア、トルコ、シリア、ソマリランド、バングラデシュ。
中東を中心とする実に9カ国を股にかけ、我らが酔っぱらい、高野秀行の飲酒行脚が行われた。(どうしても酒が手に入らなかった「飲酒未遂」はあったけれども。)
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そもそも、飲酒が禁止されているのにお酒が存在するのか疑問だ。だが、禁止するからには「お酒」が何たるかを知っての禁止である。仮に今はないにしても、昔はイスラム教圏にもお酒が存在していたはず。
もちろん、ムスリム ((イスラム教信者))以外の人々もそこには生活しているはずだ。イスラム教の”治外法権的”な地域では、お酒は製造・販売されているだろうし、飲むことも禁じられていないだろう。イスラム教圏には、今でもあるところにはお酒があるはず。そういった場所をめがけていけば、容易に飲酒紀行が編めるのではないか。
ところが、高野秀行の冒険譚は、その予想を上回っていた。そんな治外法権的な場所でなく、普通にムスリムが暮らしているところで物語は展開する。ムスリムもお酒を飲むのだ。
イスラム教圏の「飲酒事情」
もちろん、飲むとは言っても日本のそれとは異にする。公共の場では、飲酒は禁止なのだ。…ん?公共の場「では」?それなら公共の場以外ならいいのか。
そうなのだ。ムスリムは建前上、「お酒?そんなもの飲まないよ!」と言いつつも、こっそりと嗜んでいるようなのだ。或いは、「飲酒が必要」とする医者の診断書をもらい、堂々と飲酒するパキスタンのような国もある。お酒は医者が禁止することはあっても、勧める事があるとは思わなかった。これを高野秀行は、「ドクターストップならぬ『ドクターゴー』」と言っている。一体どんな病気の療養にお酒が必要なのかは不明だ。
またはチュニジアのようにこっそり作ったお酒を密売している国もある。日本で言うところの”どぶろく”だ。
オアシスでヤシ酒を飲む。夢の様な本当の話
チュニジアのオアシスで酒盛りをしたエピソードはすごく面白い。「酒飲みはいても酔っ払いはいない」と聞いていたチュニジアなのに、椰子の木に囲まれたオアシスで、2リットル用ペットボトルに入った「ヤシ酒」を、フランス語を話すチュニジア人の若者らと飲みまくる。みんなしこたま飲んでベロベロに酔っている。
片言の英語で意思の疎通を図るが、そもそも酔っぱらいばかりなので、誰が何を言っていても、なんでもいいのだ。
そんな状況でチュニジアの若者が言う。
「オレの家は貧しい。テレビも車もない。でもこれを飲めば世界は美しい。おー、ビューティフル・ワールド!」とわめいた。不覚にもうるっと来てしまう。人間がなぜ酒を飲むのかという核心をついていたからだ。
おお!いいこと言うじゃないか!まさに酒好きである私の気持ちを代弁してくれる一言だ。苦境でも世界が美しく思える。心震え、万物に感謝する瞬間。この瞬間があるから、飲酒は辞められない。
だが、上手いことオチがつく。
「あんたは正しいよ!」と肩を叩いて同志の気持ちを伝えようとしたが、奴はこっちの言うことなんか全然聞いてなかった。
そう、酔っぱらいは、たいてい人の話なんて聞いちゃいないのだ。
そして痛烈な二段オチ。
現地の水と混ぜて作ったヤシ酒で、高野秀行は猛烈にお腹を下したのだった。
酔っぱらいの代弁者・高野秀行
私は酒飲みである。休肝日はまだない。
というほど、毎日必ずお酒を飲んでいる高野秀行。「お酒を飲みたい」という熱意には驚かされる。危険を顧みずに「酒はないか」と尋ねてみたり、女の子の居る、怪しい中国系のお店に足を踏み入れてみたり。(結局、危険な目には合わなかったけれど、薄暗く看板も値段も掲げていない店でビールを飲むのは、ちょっと勇気が必要だ。)
シリアでは「シャハバ・ワイン」を求めて歩きまわる。スーパーを何軒も回り、その度に「マフィー!(ないよ!)」と無碍にされても、へこたれない。ひとえに、「美味い酒を飲みたい」という情熱のみが、彼を突き動かしているのである。その不純な(?)純粋さには感服してしまう。と同時に、酒飲みならば誰しも共感してしまう衝動ではないだろうか。
どうせ外国に行くのなら、現地の旨い酒を飲みたいと思うのが酒飲みである。そんな酒飲みの気持ちを代弁するかのように、「イスラム飲酒紀行」で著者は、イスラム教圏で禁忌とされているお酒を探求する。読者は、その危険なアドベンチャーを体感出来る。一風変わった紀行文だった。ぜひ、酒の肴に読んでほしい。