伊坂幸太郎著「仙台ぐらし」。東日本大震災の前後を含む、7年分の仙台ぐらしが詰まったエッセイ。
伊坂幸太郎との出会い
伊坂幸太郎が好きで仕方ない。
2年ほど前、人に紹介されて伊坂幸太郎デビュー作の「オーデュボンの祈り」を読んでから、ずっとである。
最初は、
しゃべる案山子
というモチーフをあらすじで見かけた瞬間に、「ああ、村上春樹の、羊男的な世界観ね」と鼻白んだ ((失礼。二番煎じなのかなーと思ってしまって。))のだが、読んでみてちっとも似てないと、反省した。
(折しも、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだ直後だったからのように思う。)
そこから発売順に伊坂幸太郎ワールドを堪能し、
「ファンタジーじゃないのもいいじゃん」
「暗い話も、笑える話もいいじゃん」
と、どんどん好きになった。
何が好きって、一番好きなのは「伊坂幸太郎」自身だ。
作者近影の写真を見て、いつまでも「好青年」然としているし、人が良さそうだと思った。
小説やエッセイからにじみ出てくる人の良さは、「本当にこんなに良い人なのかな」と疑いつつも、期待してしまう。
(かといって狙って「良い人」エピソードを書いている感じは、全くないのだ。)
何年も続いている執筆活動の中で、良い人を演じ続けようとしたら大変だ。
でも、「本当に良い人」だったら、ぶれずに続くんじゃないか。
そんな期待を今でも持ち続けている。
というか、本当に心の綺麗な、良い人なんだと思う。
伊坂幸太郎「仙台ぐらし」は、そんな伊坂幸太郎の魅力が、彼の住む街「仙台」との相乗効果で、倍増して感じられるエッセイだった。
なにせ、彼の「ホーム」についてのエッセイだ。
いつもより精神的に饒舌なんじゃないかと、こちらまで嬉しくなるような感じがした。
心配性な性格に共感
伊坂幸太郎が好きな理由の1つに、極度の心配性という共通点があるから、というのもある。
夜中に窓から爆弾を投げ込まれたらどうしよう、といった根拠の無い心配である。
私も幼少時から似たような無根拠の心配性に悩まされてきたので、仲間が居たんだなーという嬉しさを感じた。
大人になってからもこう思ってるらしい。
それ以降、喫茶店で仕事をしていても、「まわりの人間はみんな、あいつは有名人気取りで、誰かに声をかけてほしいから、家じゃなくて喫茶店で仕事をしているんだぜと笑っているのではないかな、軽蔑しているのではないかな」と怯えるようにもなった。
その気持ち、すごくよく分かる。
(私は有名人でも、外で仕事をしている訳でもないけれど。)
一言で言えば自意識過剰なのだが、人間はそういう事が気になったりするものだ。
私も今、「こんな陶酔した文章を長々と書いて、暇人だと笑われているのではないかな」、と思っているところだから。
東日本大震災の時に思ったこと
2011年3月11日。
東日本大震災が起きた時、私は勤めていた京都の会社で、沖縄のクライアントと電話していた。
大きな揺れを感じたが、沖縄では全く揺れていないようで、相手の声から動揺は感じられない。
なんとか通話を終えたが、ほとんど話は覚えていなかった。
隣の席では、東京と電話中だった。
先方があまりの揺れに怯え、物が割れる音がこちらまで聞こえてきたそうで、電話を途中で切っていた。
すぐにパソコンで地震の情報を調べた。
ustreamでニュース映像を中継していた。
東北の地を、あの、大津波が這うように進行していく映像だった。
北海道・東北に、知り合いが居ないかを必死に思い浮かべる。
元々親類も友人も少ない私には、1人も居なかったが、しばらくたって「伊坂幸太郎」という名前が浮かんだ。
既に彼の小説やエッセイを読みあさっていた私は、彼が東北大学の出身で、ずっと仙台に住んでいる事を知っていた。
お会いしたこともないけど、彼が仙台に住んでいる事を知っている。
家族に「伊坂幸太郎は大丈夫だったかな」と言ってみたこともある。
「さぁ、大丈夫なんじゃない?」
と言われて、彼の安全を確認する術が無い事が悔やまれた。 ((彼がツイッターをやっていない事は知っていたので、確認しようが無いと思っていました。が、今見てみると、ネット上では彼の安否は早い段階でわかっていたのですね。もっとちゃんと調べればよかった。))
震災後のエアーポケット
伊坂幸太郎が震災で何を思ったか、どうしていたのかが気になっていた。
おそらく文章で目にするのではないかと思っていたが、生活の中で見かける事はなかった。
正直、震災直後はそれどころではないだろう。
元々テレビに頻繁に出る作家ではないので、ひたすら待った。
すると、「PK」が出た。
更に、「夜の国のクーパー」が出た。
でも違う、作品も読みたいけど(もちろん!)、震災の時はどうだったのか知りたい。
2012年2月18日、有限会社荒蝦夷より「仙台ぐらし」発行
そんな時に目についたのがこのエッセイだ。
主に荒蝦夷「仙台学」に連載されていたエッセイをまとめたもので、初出一覧によると2005年6月25日のものが最古の日付である。
そこから2012年2月18日の書き下ろしまで、7年間という非常に長い期間のエッセイをまとめた本だ。
あとがきによれば、2011年6月に発行される予定だった本書は、震災の影響で半年以上ずれこんだ2012年2月18日に発行された。
本書の半分までは日常のとりとめのない話で進んでいく。
「タクシーが多すぎる」
「消えるお店が多すぎる」
「ずうずうしい猫が多すぎる」
といった、身近な話題ばかりだ。
その身近な話題の中に、ハッとするものがあった。
「心配事が多すぎる Ⅰ」
というテーマのエッセイだが、これから来るであろう宮城県沖地震が心配だ、という内容である。
仙台市のホームページを見ると、宮城県沖地震はこの二〇〇年間で六回、平均すると三七年周期で発生しているらしい。つまり、前回の大地震が一九七八年だったから、その三七年後、二〇一五年あたりに起きる可能性が高いのだろうか?
という記述を、2009.2.10付のエッセイで書いているのだ。
その二年後、東日本大地震が起きる。
震災に関する記述
震災が起きてからのエッセイは、一転してしまう。
自分や家族が無事であること、街の人達の様子などがメインに語られる。
地震があった当時の事も語られている。
伊坂幸太郎は、いつもどおり喫茶店で仕事をしていたという。
ここにきて、私はやっとこれまでのモヤモヤが払拭されていくのを感じた。
伊坂幸太郎が震災当時、何をしていたか分かったからだ。
それも、伊坂幸太郎自身の言葉で。
良かった。
これで、すっきりした。
これからも、伊坂幸太郎の1ファンとして、作品を楽しみたい。
僕は、楽しい話を書きたい。
と締めくくられた伊坂幸太郎のエッセイ。
これからも期待していますよ、大好きな伊坂さん。
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